1947-10-08 第1回国会 参議院 外務委員会 第3号
そうしてその後、樺太の國境をそれじや困るので、何とか決めようというので、日本とロシヤの間に明治政府になつてから、引續き樺太の國境確定問題が論議されたのでありまして、或る時は五十度を主張し、或いは五十度よりもう少し南の方の線ではどうかという案が出て見たり、當時日本側ではあの島は持つていても仕様がないから、あれをやつてしまつて、その代りロシヤから軍艦を貰おうという話が出て見たり、いろいろの經緯がありまて
そうしてその後、樺太の國境をそれじや困るので、何とか決めようというので、日本とロシヤの間に明治政府になつてから、引續き樺太の國境確定問題が論議されたのでありまして、或る時は五十度を主張し、或いは五十度よりもう少し南の方の線ではどうかという案が出て見たり、當時日本側ではあの島は持つていても仕様がないから、あれをやつてしまつて、その代りロシヤから軍艦を貰おうという話が出て見たり、いろいろの經緯がありまて
そうして先程申しましたように、この大東亞經濟懇談會というのは、元々設立當時日本商工經濟會から分れた人的物的に繋がりのありました團體でございますので、解散後結局殘餘財産と職員三十五名、それから一切の殘務整理事務を日本商工經濟會に又移讓した、そういうことを最も實際的の解決策と認めまして採つたわけであります。
しかしこれだけの法案を提案せられ、しかも在野當時日本農政に對する幾多の抱負と識見とをわれわれに示唆せられた當局としてお伺いいたしたいのでありますが、それは現在開拓法によつて、農地開拓によつて、いわゆる三箇年間百五十五萬町歩の土地を確保する。
從いまして、當時、日本國憲法施行の際において、現に皇室の用に供せられている從前の皇室財産は、すべて一應皇室用財産となるという建前でございます。
また地方公共團體においてもこれに對して補助するということになつておつたのでありますが、ちようど本年三月末から私設のそういうものに對して、從來のようなかつこうにおける公金を支出してはならないということになつたのでございますが、當時日本の社會事業の現状から見て、そういうことは困るという私設側の意見もありますし、また私どもできるならば從來通りやることを希望していろいろ折衝いたしたのでございますが、何としてもこの
○岩崎證人 昨年までにおきまして、いわゆる配給組合を通じても配給組合を通じなくてもいいという規定がありまして、私の方はその當時日本水飴工業組合というものにはいつておりましたのです。
バラツク・シツプ問題と申しますのは、當時日本の復員輸送を急速に實施する必要があるという關係から、アメリカから約二百隻のリバテイ型及びL・S・Tの貸與を受けたのであります。